第二章
4.茉莉花
密やかに人知れず輝く星がある。知らぬ者はそれを見過ごし、その本当の美しささえも気づかずに通過していくのだ。ここに、ひたすら祈りを捧げ、旅行く者達のために歌を歌い続ける女が居ることなど気づかずに。それは月ほどの小さな衛星。近くの恒星からの明かりによって白く輝くその小さな衛星はあまりに純粋で美しい。この星が人知れず輝くのは、この先に訪れる荒れ果てた大マゼランに向かう者が、もしこの星に気づいていたら・・・きっと荒野に降り立つことなどできなくなるかもしれないからなのだろうか。
[宇宙を旅する全ての者に祈りを捧げる儚き星。貴方はこの歌が聞こえますか?エメラルダス]
いつだったか、艦橋の椅子に座ってただ前方を見つめているエメラルダスにクイーンエメラルダス号が話しかけたことがある。計器ではかすかな震えを示す波形がレーダーに現れてはいるが、エメラルダスの耳に「歌」は聞こえていない。ただ、ある日此処を通過するときに、突然クイーンエメラルダス号がそう語った。名も無き純白の星・・・そこに降り立ったのはもう随分前の話だ。

「ちょうど、満開の夜を迎える頃ではないかと思っていたのです」
貨物室から数本のアルコール瓶を引っ張り出してきたエメラルダスが、手に持ちきれない瓶を持って欲しいとD・ハーロックに助けを求めながらそう語った。
「満開?花のことか?」
「降りればすぐに解ります。・・・初めて降り立ったときから随分経ちました。前来たときより輝きが増して、星自体も所々崩れて、本来の姿をとどめてはいません。もうすぐこの星の寿命が尽きるのです。その前に来られて良かった」
エメラルダスは楽しそうに瓶の数本をD・ハーロックに渡すと上陸の準備に取りかかっていた。D・ハーロックが窓から外を見ても上陸できそうな星の存在など認められないが、現状の位置からは不格好な石ころのような物がだんだん近づいているように見えた。
「あれに降りるのか?ただの光る石の塊にしか見えないが・・・。第一この瓶をどうしようというのだ?」
「商売に使うのです」
そんなことは言われなくても分かっているとでも言いたげに眉間にしわを寄せながら腕に抱えた数本のアルコール瓶を眺めるD・ハーロックとは対照的に、エメラルダスの瞳は輝いていた。

切り立った崖の上にクイーンエメラルダス号が着艦し、ハッチが開いたと同時に甘く澄んだ香りが一斉にクイーンエメラルダス号内へと吹き込んできた。周囲は雪の如く白い花びらが舞い上がり包み込む。艦を降りたD・ハーロックはその眼下に広がる純白の野をみて呆気にとられていると、すたすたと谷を降りていくエメラルダスの後ろを小走り追った。
「茉莉花という花。この星の70%程は茉莉花畑なのです。この花はアルコールに浸けておくことで芳醇な味わいのワインができます。他の業者にはけっして真似のできない物。高く売ることができるのですよ」
エメラルダスはまるではしゃぐ子供の様な笑顔で花畑に降り立つとD・ハーロックから酒瓶を受け取った。何処までも続く純白の花畑にクイーンエメラルダス号の着艦と共に舞い上がった花びらが今だ雪のように降り注ぎ、二人を温かく歓迎していた。
心が洗われるとはこの事か・・・そうD・ハーロックの胸にこみ上げるものがあった。この星の輝きはこの花の輝きのたまもの。見上げれば漆黒の宇宙が広がり、正反対のこの花の輝きで周囲は明るく見えるのだった。
「ここからは私の仕事です・・・D、あなたは散歩でもしていてください」
「俺も花を摘むんじゃないのか?」
男が花を摘むなどとはあまり考えたくはなかったが、花を瓶詰めにする事くらい自分にもできるとそう思ったのだろう。しかしエメラルダスはクスっと笑ってこう答えた。
「この花はとてもデリケートなのです。子供か・・・女の柔らかい手で摘まなければ香りが変化してしまう特徴があるのですよ」
一瞬憮然とした表情になったが、それならばとまた谷をのぼりだすD・ハーロック。
「艦に戻るのですか?」
「この星を上空から眺めてみたい。二座式の戦闘機が一機格納庫にあったから借りるぞ」
「デスバード!あれは故障していた物を収容しただけで、修理しなければ動きませんよ」
しかしD・ハーロックはニヤリと笑って元来た谷道を登っていく。戦闘機デスバードはクイーンエメラルダス号の上部格納庫に、さも忘れ去られていたかのように置いてあった。あまりに暇だったためにすでにD・ハーロックの手によって整備が為されていたことなどエメラルダスは全く知らなかった。
程なくして黒い機体がクイーンエメラルダス号から発艦し、踊るようにエメラルダスの上を旋回するとそのまま表層を並行するように飛んでいった。
「YeeeeHaaa!!!!」
デスバードのコクピットにD・ハーロックの声が響く。しばらく振りに味わう圧が彼の全身をくまなく包み込み、性感にも似た興奮を彼に与えた。
[D、あまり上空へは行かないでください。周囲に機械帝国軍が潜んでいるかもしれません]
機械帝国軍のレーダーをシャットアウトするクイーンエメラルダス号と違い、ただの戦闘機であるデスバードに乗り込んだ彼のことを気にしてエメラルダスが通信を入れた。
「分かってるさ。表層を滑るだけだ。ちょっと飛んだらすぐ戻る」
D・ハーロックの瞳は今までとは全く違う晴れやかな輝きに満ち、そして活き活きとしていた。

クイーンエメラルダス号に戻って瓶を整理しはじめたエメラルダスにクイーンエメラルダス号が話しかけた。
[D・ハーロックはとても嬉しそうに飛び立っていきました。とても活き活きとして・・・今までとは全くちがう心理状態です。彼は心底楽しそうです。本来の彼は、自由でいることが好きなのでしょう]
「そうですか。彼の心が分かるようになったのですね。私は貴方がうらやましい。クイーンエメラルダス号」
[私に心を開いてくれたことで、本心が伝わるようになってきました・・・ですが、それはとても辛いことでもあるのですよ]
「辛い?それは、彼の悲しみや苦しみまでも感じてしまうからなのですか?」
しかしクイーンエメラルダス号は答えなかった。エメラルダスを傷つけたくなかったからかもしれない。クイーンエメラルダス号にとって、人の心を感じてしまうことなど、エメラルダスが悲しむことと比べたら、取るに足らないことなのだった。

デスバードで星の周囲を見て回るD・ハーロックは水を得た魚の如くだった。この惑星は小さい。もう既に何度も表層を見て回っているが、数回の後にこの衛星の真っ黒い部分が湖だということに気づいた。それは白いドレスの女がそこに浸かり、水を撫でながら歩いているのを目撃したからだった。
「人が住んでいるのか?」
D・ハーロックは2、3度上空を旋回してデスバードを近くの谷間に着陸するとゆっくり湖へと歩みを進める。彼の耳に澄んだ歌声が聞こえてきた。さわさわと小さく波打つ湖は天と同じく漆黒であるために、そこに立つ女がまるで亡霊のように白く輝いて見える。戦闘機が飛来して中から男が降りてきたというのに、女は腰まで浸かったまま、まるで気づいていないかのように歌を止めようとはしなかった。そればかりか天に向かって両手を挙げ、その美声を轟かしていたのだった。D・ハーロックは浜に灯されていたたき火の横に腰掛けて目を閉じ、すでに純白の花畑によって洗われた心を彼女の美声の癒しに任せていた。
「退屈させてしまいましたか?」
気がつくと女は彼の目の前に膝を抱えて座っていた。濡れていたはずの彼女のドレスがすでに乾いているところをみると、D・ハーロックは深い眠りについていたのかもしれない。本当にしばらく振りに、何の恐れもなく眠りについていた。彼女は間もなく目が覚めるのを察して声をかけたのだった。
「私はジャスミン。この星の管理人です」
「こんな小惑星に人が住んでいるとは思わなかった」
「たった一人の住人です。エメラルダスが戻ってくるのを楽しみにしていました・・・貴方はエメラルダスのご友人ですか?」
まばゆいばかりに輝く澄んだ瞳で覗き込むようにして訪ねてくる彼女はまるで女神だ。
「・・・・まぁ、そんなものだが・・・」
ジャスミンは人と会うのがしばらく振りのせいか、興味深げにD・ハーロックを見つめていた。何の恐れも感じず、むしろ好意的な眼差しで見つめるジャスミンに心を見透かされるのではないかとかえってD・ハーロックの方が恐怖心を覚えた。
「なぜ歌を歌う?誰が聞いているわけでもないのに・・・」
「私の一族は祖先から・・・海を旅する方たちの航海の無事を祈って歌い続けてきました。そして私も・・・この宙域を旅する船のために歌っています。起源は地球のある半島の岬であったと」
「地球・・・地球人なのか!」
少し身を乗り出したD・ハーロックに驚きもせずジャスミンは続けた。
「私は、宇宙で生まれ・・・この星で育ちました。でも身体には地球人の血が。貴方もそうなのですか?」
「地球人であることには違いない・・・」
今、あまり考えたくない話題だったため、すぐに話題を歌に戻した。
「それにしてもとても美しい歌だった。言葉が分からないのですっかり異星人だとばかり思っていたが」
ジャスミンは嬉しそうに目を細めて微笑んだ。
「私もこの歌の言葉は分かりません。ただ・・・祖先がある海賊のために歌った歌だと聞いています。他にもいくつか歌はあったようですが、私が知っているのはこの一つだけ。お気に召してくださって、とても嬉しい」
誰とも会うことなく、たった一人で生活している彼女にとって、突然の来客がよほど嬉しいに違いない。D・ハーロックの隣に座り、まだ見つめ続けていた。あまりに無防備すぎて、とても違和感を感じるD・ハーロックだった。しかし、彼女が傍に来ると、先ほど感じた茉莉花の香りがした。彼女自身の香りと相まって、それは甘く温かいミルクのような芳香となって彼の鼻をくすぐった。一瞬彼の中にこみ上げた何かを振り払うように突然立ち上がり、湖に向かって歩き出す。小さな波が寄せては返す辺に立つと、ブーツの先にかかる水があまりに温かいことに気づいた。消滅すべき時が訪れている・・・そう感じずにはいられない。
「この星はもうすぐ寿命が訪れるとエメラルダスは言っていた。なぜここにいる?」
「・・・此処を出る手だてはありません。それに・・・私はあまり外の世界を知りません。エメラルダスに以前、彼女の艦に乗るようにと勧められましたが、外界を恐れて、決断を下すことができませんでした。私はこの星の管理人。悲しい事ですが・・・この星とこの湖と・・・花と共に朽ちてゆくのが私の運命なのかも・・・」
「ジャスミン」
湖の淵をマントを靡かせながらエメラルダスが歩いてきたのだった。
「エメラルダス・・・・。しばらく振りですね。花は摘めましたか?」
「ええ、とても良い香りですよジャスミン。貴方の歌のおかげですね。・・・Dの帰りが遅いのでひょっとして此処ではないかと思って着たのですが、やはり貴方の歌に惹かれたよう」
「私のお話にお付き合いしていただいていたのです。そうですか、貴方はDとおっしゃるのですね」
ジャスミンはD・ハーロックに向き直って微笑みかけたが、彼が振り向きもせずまだ湖を見つめていたのは背中に刺さるエメラルダスの視線が少し痛く感じたからかもしれない。
「D、出航準備が整いました。間もなく離陸します」
エメラルダスの口調もまた厳しかった。少なからず、ジャスミンがD・ハーロックと普通に話をしている事に対してヤキモチに似た苛立ちを感じているのだとジャスミンは気づいた。
「もう・・・行ってしまうのですか?エメラルダス」
「貴方に艦に乗る意志があるのなら・・・あと少しいることは可能ですよ」
ジャスミンは俯いたまま、返事に困っている様だった。言葉無い時がしばし過ぎると、エメラルダスは踵を返しながら呟いた。
「D、すぐに戻ってください。遊んでいる時間はありません」
艦に戻る彼女の後ろ姿は冷たく感じたが、ジャスミン自身が決心しない限りは連れ出すことはできないとエメラルダスは思ったのだろう。もとより彼女が返事をしないことは分かっていた。宇宙で生きるならば、自分の意志がはっきりしていない者は淘汰される・・・それが無法渦巻く大宇宙の掟なのだと彼女は心で呟いた。しかし、ジャスミンはジャスミンなりに理由がある。それはエメラルダス自身知ることのない事だ。
小さなため息と共にD・ハーロックがデスバードに向かって歩き出そうとしていた。
「風向きが変わりました・・・何かが此処へと近づいています。早く行った方が良いでしょう」
ジャスミンが呟いたと同時に、クイーンエメラルダス号へと向かっていたエメラルダスも不振な風を感じていた。
(何か・・・来る)
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