第二章
3.証
D・ハーロックにとって、何もすることのない時間を過ごすのは苦痛だった。めまぐるしい日々を送っていた彼にとって、平穏などあり得ない状況だったのだ。地球を離れてしばらくして・・・そう、エメラルダスと煉瓦の星を離れた頃からD・ハーロックは眠ることができなくなっていた。それは、今までと全く違う状況に自分が置かれたせいでも、エメラルダスの存在のせいでもなく、ただ、眠る事が恐ろしいのだった。貨物室で絵を描くこともあったが、日がな一日無心で書き続けている訳にもいかず、クイーンエメラルダス号内の散歩もそろそろ飽きてきていた。今日もいつものようにベッドの上で天井を見つめ、時折流れては去る輝きを目で追う。こんな事は所詮気休めにしか過ぎない。たとえこうしていても、余計なことをが頭に浮かび、時の流れに身を任せることなどできないというのに。
「D・・・。もうすぐヘビーメルダーへ到着します・・・その前に寄りたいところがあるのですが・・・D?寝ているのですか?」
「起きてる。ちゃんと聞こえている」
いつものように緊急事態を危惧して、扉を開けたままのD・ハーロックの部屋の入口でエメラルダスが声をかけた。彼女はD・ハーロックはほとんど寝ていないことを心配してはいたが、彼女に必要以上に話すどころか近づこうともしない彼にどう対処したらいいのか困っていた。
「最近、全く寝ていないようですね。食事もカルシウム剤しか摂取していない・・・それで大丈夫なのですか?」
「カルシウムパラドックスさえ起こさなければ、時々人工太陽光に当たってタンパク質を補うだけで生きていける。心配はいらない。こう何もすることがないと、腹も減らないしな」
めんどくさそうに答えるD・ハーロックにエメラルダスがため息をつきながら答えた。
「それでは結石になりますよ・・・」
「俺の生体恒常性は・・・お前とは違う。ほっといてくれ」
軍によって特殊な生活を強いられていた彼にとって、食事の楽しみなど無い様なものなのかと思うと、エメラルダスはすこし寂しい気持ちに駆られた。カルシウムパラドックスとはカルシウム不足によって細胞内のカルシウム蓄積量が増え、細胞死を早めるために筋肉の動きが鈍化するというものだが、それはさほど彼には関係ない。だが、彼の身体のほとんどの骨が人工骨でコーティングされていて、骨の劣化は起きないが、体内に蓄積できるカルシウムに限りがあり、そのため免疫機能や神経機能に異常をきたしやすい。神経機能に異常が起きるとき・・・彼は自分自身の制御ができなくなることを知っている。
「何を・・・考えていたのです?私が聞いてはいけないことですか?」
いつものようにつっけんどんな答え方をする彼に対して寂しさを感じているのか、入口にもたれかかってすねたような口ぶりだった。
「入りたいなら入ってくればいいだろう。どうせ俺の考えていることといったら・・・大したことじゃないが」
「話したくないのならいいのです。でも、最近あまり話をしなくなったので、少し心配です。私のせいなのですか・・・?」
随分前に彼の寝ているベッドで彼女が迫って以来、お互いに口をきかなくなったのは確かだったが、本当の理由はそうではない。D・ハーロックあきれたように目を閉じて鼻で笑っていた。
真っ暗の部屋にエメラルダスが入ると、いつものように卓上ランプのスイッチを入れた。星が瞬き、時折銀河鉄道の軌道信号が通過するとはいえ、宇宙のほとんどは闇。少しでも明かりがないと何も見えない世界。にもかかわらずいつも明かりをともさずにいるのは、まだD・ハーロックがエメラルダスに対して心を開いていない証でもあった。
「眠るといつも同じ夢を見る・・・とても懐かしいようで楽しく・・・そしてとても生々しく、最後は恐ろしい感覚に襲われる夢だ。俺が、見たこともない場所で、会ったこともない男と話している夢・・・煉瓦の星以来、ずっとそうだ」
「地球で脳を調べられたと言っていましたね。遺伝子記憶再生装置にかけられたせいではありませんか?」
「ああ、そうだ。俺は気がついたときはすでに軍にいた、軍での記憶しかないはずなのに・・・それじゃその夢は俺の遺伝子の記憶というヤツか。それにしては・・・生々しすぎた。痛みの一つ一つすら覚えている」
気味が悪いと言いたげな口ぶりで天井を見つめたままのD・ハーロックの顔は陥没した左目は相変わらずだったが、久しぶりにエメラルダスが見た彼の顔は初めて見たときよりもさらに厳しさを増しているように思えた。輸送船の不時着でついた両頬の傷が、骨まで深々と達していた左頬だけになり、くっきりと痕として残った。
「その傷は治らなかったのですね・・・」
「さすがのこの身体も、体調不全の時に深々とつけられては痕も残る。だが、悪い気はしない。俺が人間だという証みたいな物だからな」
エメラルダスの気持ちを察してか、彼は自分のことを話し始めた。ほかに話すような題材が見つからないといえばそれまでだったのだが。
「そう易々とどんな傷でもすぐ治っては、さすがに気持ちが悪い。俺の骨と心臓は人工の物。そして永遠に血を作り出す。老化DNAを排除した代わりにめまぐるしい速度で体内の細胞生成が繰り返される・・・見た目ではわからなくとも、俺は通常の人間の数十倍の速度で生きている・・・。地球防衛軍軍人として大人しく兵器に甘んじていれば、何て事は無かったんだろうに、自分の中で「俺は人間だ、生きているのだ」と訴えているように思えば・・・傷が残ってくれた方がまだ救われる」
エメラルダスは、こんな身体の自分に気づいた彼の心中いかばかりかと考えると、胸が締め付けられそうだった。彼女自身、いくら「兵器」として訓練を受けたにせよ、なぜそこまで身体に手を加えなければならなかったのか理解に苦しむ。
「いつ・・・自分の身体の事に気づいたのです?」
「自分の身体が異常だということぐらい、傷の治りを見れば分かる。器官を再生することはできなくとも、ある程度の組織ならばすぐに再生するこの有様を見て驚かない方がおかしい。・・・気づいたのは実戦で敵と戦うようになってからだがな・・・。それまで普通の人間が傷つくとどうなるかなど知らなかった」
自分の身体の異常に気づいて人体スキャンを密かにおこない、ある程度のことは知ったのだとD・ハーロックは続けた。人間のDNAの99.9%は皆共通しているのだが、彼は違ったのだ。目に見えない部分で大きな組み替えが為されている。ここまで「天然の人造人間」だと知ったら自分自身が気持ち悪くなるのは言うまでもない。
「自分が、理由があって特別な存在だと思った・・・それが・・・兵器だと言われたら・・・さすがに返す言葉が見つからなかった。納得するしか道はなかったな」
「でも・・・他にも同じ様な人はいたのでしょう?」
「ああ、たぶんな。だが、だれがそうなのかなど、胸に刻まれた刻印を見るまで分からない。お互い裸になって見れば確認もできただろうが、俺は人と連むのが得意じゃないからな。それに・・・そんな暇などない」
暇があれば常にフライトシュミレーターにつながりっぱなしで、日々の多くは実戦さながらの演習室に一人放り込まれる。終われば部屋でセクサロイドが性交を強要する。どれほど疲れていても・・・身体を休めるときなど与えられない。それが普通で、そうやって彼は生きてきた。
「そうまでして作り上げた人材による防衛戦が地球を救っても・・・結局いとも簡単に裏切られ、落ちた。地球の現状は最悪だ・・・一体何のための存在だったのか・・・馬鹿馬鹿しくて考えたくもないが、何もしないで時間を潰すことが苦手な俺はついついつまらん事を考えてしまうな」
D・ハーロックは目を閉じて、自分が地球に帰ってきてから目撃した地球の惨状を思い出していた。
「地球の・・・現状?確かに悲惨であることは聞いていますが・・・」
「・・・あぁ」
エメラルダスの故郷は地球ではない。彼女にとってはこの大宇宙そのものが故郷のような物だった。だが、彼の故郷は地球・・・ましてや悲惨な状況を目の当たりにしたとなれば、どうすることができなくとも考えてしまうだろうと思った。
「街はすさんで・・・女達は機械化人に肌を曝して子供のために金を稼ぎ、生きる気力を失った男達は路肩で死が訪れるのを待つ。明日を信じて生きる意志のあるものはことごとく、汚染の進んだ地下深くへと追いやられ、やがて強制労働施設へ送られるか、処刑だ」
「彼らは銀河総督府を恨んでいるでしょうね・・・」
「一方では金に物を言わせて機械化人になり、のうのうと暮らしているのも事実さ。都市の中心部は何事もなかったようにきらきらと輝き、その中を機械化人が往来していた・・・・だが、いずれそこに何が起こると思う?子孫を作るなど過去の産物、先にあるのは人類の破滅だ」
部品さえ交換できれば永遠に生きながらえることができる。機械化人とて形ある物。そんなことは絵空事にしか過ぎないのだとD・ハーロックは言った。
「機械化人はやがて欲望の塊となって自らを飾り、そして強くなろうとするでしょう。そのうち機械化人同士の戦いが始まったら・・・もうおしまいですね。でも、貴方がそこまで考える必要はないでしょう?自分で蒔いた種を刈れない愚か者達の事など・・・」
エメラルダスはD・ハーロックの気持ちをやわらげるつもりで言ったのだが、彼には上手く伝わっていなかった様だった。ベッドから起きあがると俯いたD・ハーロックはゆっくりと脇に座ったエメラルダスに視線を向けた。
「俺は気がついたら軍のために、地球を守るために生きていた。お前の言うような状況になるのなら、いっそのこと、この世から消えてしまった方がいいとは思わないか?俺のどこに生きている意味があるというんだ?」
余計なことを考えるというのはこういうことだった。
「D・・・貴方は生きている・・・赤い血が貴方の身体に流れている・・・それで充分ではありませんか」
「そして・・・その血を見ていないと人間として生きている実感が湧かない・・・所詮は兵器だ」
今までも、時々D・ハーロックは自分の身体を傷つけて血を流していることをエメラルダスは知っていた。自分など、どうなってしまっても構わないと思う反面、それを大きく否定する感情が渦巻き、彼の頭のなかが混乱してどうしようもない状況に陥ると、自分の血を見てなだめるという日々を送っていたのだった。エメラルダスは返す言葉に詰まってD・ハーロックを見つめていた。困惑した表情の彼女を見てD・ハーロックは付け加えた。
「すまない・・・こんな話しか俺にはできない」
「・・・・いいえ・・・いいのです。話をしたがったのは私の方ですから。それに、貴方の事が聞けて、私は嬉しい・・・。かえって、貴方を苦しめてしまったとしたら、私は貴方に謝らなければいけない」
しかし、D・ハーロックはそれについては何も答えなかった。
エメラルダスが卓上ランプの明かりに映し出されたD・ハーロックの背中に手を伸ばそうとした。彼が自室にいるときは上着を着ないために、暗闇に光を受けた艶やかな彼の背中ははっきりとした筋肉のおうとつが浮かび上がっている。そのたくましさと・・・そこからにじみ出る哀愁が彼女の母性をくすぐったに過ぎない。しかし、エメラルダスの携帯している通信機はこれからはじまろうとしていた、彼女にとっての甘い一時を打ち壊す。慌てて手を引くエメラルダス。
「・・・もうすぐ、目的の衛星に到着します・・・私は艦橋へ戻ります」
すくっと立ち上がってマントを翻し、エメラルダスは小走りにその場から去っていった。
「あいつは俺にのめり込もうとしている・・・俺はいったい何をしているんだ・・・」
無心に頭を抱えて髪を握りしめるのは人間特有の仕草。また一人の時間が訪れた。どうしようもなくただ、いま自分がエメラルダスに話したことを後悔した。こんな事になるから、彼女とは距離を置いていたにもかかわらず、自らそれを破り、結局また混濁した状況を作ってしまう。今の彼の精神状態は不安定だった。躁状態の後に訪れる強烈な鬱が彼にのしかかる。片方の手がベッド脇のフルーツバスケットに伸び、そしてフルーツナイフの先を震える両手で胸に突き立てると深呼吸をした。ナイフが突き立てられたその場所は、すでに×印は消え、引きつった茶色い皮によって描かれている『D』の刻印の場所だった。
(このまま胸骨を突き抜けることができれば心臓は止まる・・・)
ひと思いに突き立てるが、コツという音がしただけでそれ以上ナイフは先に刺さることはない・・・。胸からわずかな血が腹へと流れ、口からは嗚咽が漏れた。血の付いたベッドの上でうずくまる彼の手は真っ赤に染まり、胸の傷はすでに修復されていた。たかだかナイフでさしたくらいでは彼の人工骨は傷かない。分かっていても、どうしようもなくなる今の感情から速く解放されるようにと密かに願うしかなかった。自分がなぜ生きているのか・・・本当は何者なのか・・・その証が欲しかった。
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