第二章
1分道
銀河系を離れてその先を行く者の多くは、遠のく故郷をふり返る。これほどにまで美しい銀河が此処に存在したのかと心振るわせ、二度とこの目でそれを見ることがないのかもしれないと思って涙ぐむ。もう二度どと血の通った瞳でそれを見ることがないのかもしれないと・・・。ここに、そんな思いにかられてたたずむ男がいる。疲れ果て、くぼんだ瞳はそれでもまだ大きく輝きを蓄えている。髭を蓄え、漆黒の服に身を包み、物静かながら威厳を醸し出す彼の姿を見てある者は言った。黒騎士ファウストと・・・。
彼は懐から金のペンダントをおもむろに取り出して見つめていた。角のないカブトムシ様のそのペンダントの形はかつて地球の古代エジプト時代に崇められていた太陽神の化身スカラベ。その中央のボタンを押すと、羽根が浮き上がり、中には幼い息子を抱く美しい女性の写真が納められていた。
----巻き起こる風、繰り返される爆撃、逃げまどう人々・・・もはや彼の住んでいた居住区は火の海だった。地球防衛軍の救助艇も数隻はこの爆撃で木っ端微塵に吹き飛んだ。一向に降伏しない地球への攻撃は機械帝国の命令によって銀河総督府が行っていたが、それは民間人の予想を遙かに超えた卑劣なやり方で都市部はおろか地方の村まで制圧の力は向けられていた。それまでも異星人からの攻撃によって多くを消失してきた地球防衛軍にはこれ以上彼らを迎え撃つ手だてがない。さらに機械帝国軍艦隊も太陽系に迫っている・・・もはや、銀河総督府がすすめる機械帝国との和平を受け入れるしか無かった。しかし、それが何を意味するのか、彼はそれを知っていた。
「あなた!どうしてもお残りになるのですか・・・」
白衣に身を包んだ彼は炎に巻かれていく研究所の外で妻と息子を救助艇へ乗せていた。すでに研究所も壁や天井が剥がれ落ち、彼の研究室も崩れ落ちるのは時間の問題だった。
「もう、地球は終わりだ・・・だが我々人類は滅びる訳にはいかない・・・加奈江、お前は地下に潜り、生き延びるんだ。私はこの研究を捨てるわけにはいかない・・・許してくれ」
「あなた・・・あなたが生涯をかけて続けた研究ですものね・・・見捨てるわけには行かないのですね・・・大丈夫、この子がちゃんとあなたの意志を・・・鋼のようなあなたの意志と勇気を受け継いでいます」
彼は幼子の手を握りしめている妻を見つめた。幼子は爆撃の恐ろしさから泣き叫び、母にしがみついていたが、父が頭を撫でてそれをなだめた。
「鉄郎・・・強くなれ。強く生きるんだ。・・・強くなって、お母さんを守ってやれ。いいな」
「おとーさん・・・おとーさん!」
彼は悲しげな瞳のまま、息子の頭から手を放し、一歩一歩後退していく。父に手を伸ばす息子を母が止めた。
「加奈江・・・鉄郎を頼んだぞ・・・さぁ、行くんだ・・・もう救助艇は出発だ」
「あなた・・・」
「さらばだ」
「おとーーーーさぁぁぁぁぁぁーーーーーん!」
妻はわけも分からずに泣いて暴れる息子を抱きしめると救助艇のハッチは閉じられた。涙を流しながら見送る妻。息子の泣き声はなおも響き、彼の耳には救助艇が離陸するまで届いていた。すでに研究所の大半が崩れ落ち、彼の妻と息子は炎に巻かれて崩れていく研究所をただただ涙を流して見つめているだけだった。
「これで良かったのですか?星野博士。本当に・・・これで」
「再び会うことがあっても・・・彼らは私に気づかないかも知れない・・・これで良いのです。リッケンバウアー博士。我々は残された地球人の意志と希望を後生に受け継がねばならない義務がある・・・行きます」
星野博士と呼ばれた彼が向かった研究室の遙か地下でまだ生身の身体のリッケンバウアーが待っていた。たどり着いた地下室は巨大な空洞になっており、地球防衛軍の秘密基地となっていた。其処には数十体のアンドロイドが彼らを待ち受けている。そして、彼らの後方にそびえるは漆黒のボディに白い髑髏印が描かれた旧式の戦艦だった・・・。すでに巨大なケースと研究資材が戦艦へと積み込まれていく。しかし、折からの爆撃で地下室も間もなく崩れていく気配がしていた。
「リッケンバウアー博士・・・あなたも一緒に」
「いいえ、私は地球に残ってここの後片づけをしなくては。跡形もなくすべて・・・。星野博士、地球防衛軍は残った地球人のために苦汁を飲んで銀河総督府におちます。しかし最後の前衛艦隊を土星に布陣させて機械帝国襲来の足止めをしてくれている。前衛艦隊を・・・『D』が帰ってくるのを待ってやるのが私の役目です。彼らが帰る場所を私は残しておきたい。私は貴方ほど壮大な夢は描けない。もう歳ですからな・・・朽ちていくやもしれぬ地球で・・・彼らの到着を待てればそれで本望」
「地球は必ず平和になります。機械帝国とて全てが悪魔な訳ではありません」
リッケンバウアーは無言でただ頷いた。
「・・・どうか、ご無事で」
固い握手を交わし、白衣を脱ぎ捨てた星野博士はアンドロイドを引きつれて漆黒の戦艦へと乗り込んだ。元地球防衛軍の指揮官をしていたこともある彼は、銀河総督府の目を逃れて戦艦を動かすことのできる唯一の人物だった。リッケンバウアーは流れる涙を拭こうともせず、水中へと沈んでいく戦艦を見送った。艦橋に立つ星野博士は、リッケンバウアー博士が血の通った人間として流す最後の涙を見つめながら敬礼した----
「もはや・・・全ては終わり・・・そして始まった・・・」
彼が呟いた。どっかりと椅子にもたれ、天を仰ぐと手に持ったペンダントを懐にしまい、深いため息をついた。地球を離れてもう随分経つが、彼が妻と息子、そしてリッケンバウアー博士と別れた日がつい先日のことのように思い起こされる。ペンダントに納められた写真を見るたびに、走馬燈のように思い出が駆けめぐり、そして気が付けばまた一人、孤独の時を過ごす日々。『D』の刻印をもつ者達は彼が地球を発って救助に向かった頃にはリッケンバウアーの祈りもむなしく銀河総督府の手によって全て撃沈されていた。思いも寄らない同じ血の通った人間達による裏切り行為。たとえそれによって機械帝国本隊の地球上陸を阻止することができたとしても、報われない彼らを造ってしまったリッケンバウアーと星野博士、否、黒騎士ファウストにとっては一生背負っていかねばならない罪悪感だった。
「よもや生きていたとは・・・『D』・・・私はどうしたらいいのだ、リッケンバウアー博士・・・」
「リッケンバウアー博士は亡くなりました・・・」
突然暗闇の向こうから聞こえてきた女性の声に驚き、ファウストは腰の銃に手を掛けた。まったく気配すら感じなかったのは自分の勘が鈍ったのではなく、突然現れた、彼にとって「実体のはっきりしない」女性だったからだ。
「メーテルさん・・・いつから」
「今し方。あなたがまるで消え入りそうなお姿だったので・・気がつくまで待っていようと思ったのですが・・・」
メーテルと呼ばれたその女性は襟と裾にファーがあしらわれたブルーのワンピースに身を包み、愁いを帯びた表情でファウストに一歩一歩近づいた。一歩踏み出すたびに長い亜麻色の髪が揺れ、暗闇の中で輝いて見える。ファウストは卓上のランプのスイッチをつけると女性の顔がはっきりと見えた。宇宙を飲み込んでいるかのような、きらきらと輝く瞳の向こうには悲しみと共に言いようのない怒りが込められていた。
「リッケンバウアー博士は『D』に大テクノロジアの事をうち明けた後、自爆されました。アイアンデアーに疑われる前に、全ての記憶を心あるうちに消し去ったのです」
ファウストの拳が震えていた。涙こそ流さなかったが、彼の心中も激しく打ち震えていた。
「分かっています・・・。博士より、最後の通信を傍受しておりましたから」
「ではなぜ、大テクノロジアを離れたのです?なぜ輸送船を攻撃したのですか?」
まだ、少女のようなあどけなさをその瞳にたたえているメーテルだったが、凛としてそう答えた。ファウストは、か細くて儚くも見えるメーテルを凝視し、白衣に替わって纏っていた黒いマントを揺らしながら立ち上がった。
「『D』が一人でも生きていると分かった以上・・・アイアンデアーの手に渡すわけには行かないのです。彼は必ず大テクノロジアに向かっている筈。到着する前に消し去らなければなりません」
ファウストは静かに呟くとサイドボードとおぼしき耽美な彫刻が施された棚からワインを一本取り出して封を開け、メーテルにソファへと促すとこじんまりとしたグラスでワインを勧めた。
「機械帝国の追っ手、アイアンデアー。聞けば、かつて貴方のお母上、女王プロメシュームに機械化を勧めたハードギアの片腕だったことがあると」
「おっしゃるとおりです。そして彼は独自の軍隊を引きつれて勢力を拡大させました。事実上、機械帝国の裏の支配者」
「とうてい我々が立ち向かえる相手ではありません。この艦はステルス機能こそ付いていても、戦闘能力はさほど強くない。束になってかかられれば勝ち目はない」
ワインに一口付けたメーテルが、向かいに腰掛けたファウストをじっと見ていた。いまだ暗がりのこの部屋に黒装束のファウスト。顔をはっきりと見ることはできず、同様に彼の心さえも見ることができないような感じを受けた。
「勝ち目がないから、『D』を消し去ろうとしたのですか?確かにそうすれば大テクノロジアは守れるかもしれません。ですが、あの船には民間人も・・・」
「面と向かって抹殺すれば機械帝国に感づかれる。事故に見せかけることもいとわざる得ないと決心し、あの宙域へむかったのです。輸送船を攻撃した際に巨大戦艦が現れ・・・結局とどめも刺せずに逃げ出しました・・・。彼はまだ生きている。だが墜落した星にはもういません・・・その巨大戦艦にでも乗って離れたのでしょう。こちらから探索することができなくなってしまった。途方に暮れているところです」
メーテルは少し考えているようだった。まるで、まどろむ時を噛みしめるように二人は無言のままワインに口を付けていた。先に口を開いたのはメーテルだった。
「その巨大戦艦とは・・・私の双子の姉、エメラルダスの船です。この戦艦ではどれほどの機器が備わっていても、探索することは不可能でしょう」
「そうでしたか・・・。見たこともない戦艦が現れたために・・・驚いておりましたが」
「エメラルダスはあの宙域にこの戦艦の存在を早くから認め、後を追っていたのです。それはまるっきりの偶然・・・私が伝えたものではありません。ですが、エメラルダスも『特殊人材』についてまったく知らない訳ではありません。きっと大テクノロジアに向かう筈です」
ファウストの眉間に深い皺が寄った。
「追っ手が何者か分かっていてもですか!」
艦のかすかな振動で揺れるテーブルランプの明かりの向こうで、目を閉じて無言で頷くメーテル。クイーンエメラルダス号の不備を知っているだけに、たとえ守りの堅い戦艦だとしても機械帝国軍に追いつかれて無事でいられる保証はないと思えば、メーテルの心に不安がこみ上げるのだろう。彼女もまた、かすかだが眉間にしわが寄っているようだった。
「それならば、即刻『D』を引き渡す様にお伝えください。無謀です」
「いいえ・・・私はエメラルダスのする事に口出しする権利はありません。私たちは・・・同じ道を別々の方法で歩んでいるのです。それに干渉することはできません。してはいけないのです」
ファウストには全く理解できない返答だった。
「ましてや・・・『D』を抹殺しようとしている貴方に、エメラルダスがそう簡単に引き渡すとは思えません」
「たとえ、貴方の姉君といえども機械帝国軍は容赦はしません。それくらいのことは貴方もご承知の筈・・・。巻き沿いを食っても構わないとおっしゃるのですか?それに、『D』はただの人間ではありません、一緒にいたら姉君とて無事かどうか・・・」
「そう・・・彼女が決めたことならば」
ファウストは半ばあきれたようにソファにもたれかかった。時として、このメーテルは優しいのか厳しいのか分からないときがある。故に「実体のはっきりしない女性」なのだとファウストは思う。だが、コレだけははっきりしている。彼女は彼女の母親のかつての強さに似ていると。
「さすがは女王プロメシュームの愛娘だけある。・・・しかしながら、私は『D』を大テクノロジアに連れて行くわけにはいかない。平和の内に地球人類が機械化人と共存し、新しい社会を築くためには、今アイアンデアーに大テクノロジアの存在を知らせるわけにはいかないでしょう。そして、アイアンデアーがプロメシュームに接触する前に阻止したい」
メーテルは少し驚いた様子でファウストを見据えた。彼女の母であるラー・アンドロメダ・プロメシュームは機械帝国の女王に崇められるが、実際はアイアンデアーの師であったハードギアの策略による物。純粋な彼女の心を、邪悪に仕立て上げた彼の策略を受け継いだアイアンデアーならば、大テクノロジアの存在を知ったが最後、プロメシュームの改造を施してでも大テクノロジアを機械帝国の制圧下にせんとたくらむに違いなかった。
「ファウスト・・・なぜ地球人類が機械化人と共存するなどと?貴方は・・・母に会ったのですか?」
「いいえ、ですが貴方は以前、お母上様はかつて1000年の間地球を見守り続けた守護星ラーメタルの女王だとおっしゃいました。・・・たとえ今、貴方の言葉さえも聞き入れぬほど冷たい機械化人になったとしても、真っ向から敵にすることなどできません。私はいつか、直にお会いしてみたいのです。そして生身の人間が平和の内に機械化人と共存する世界を考えてみたい。そう思っただけです」
「貴方が・・・母の暴走を止めると言うのですか?」
「やってみる価値はあるでしょう。メーテルさん、あなたはお若いのに多くの悲しみを背負って生きて行かねばならない。あなたが望むのならば、私はこの身を捨ててでも貴方のお母上の暴走を止めて見せます。機械化人とて皆が皆卑劣な者ばかりでは無いはず。いいえ、生身の時と同じように、温かい心をもつ機械化人を作ることだって可能なはずです。そうすることで大テクノロジアも地球も守ることができるかもしれない」
ファウストは、そのか細く儚げなメーテルという女性にわずかながら地球に残してきた妻の若かりし頃の姿を投影していたのかもしれない。どこか寂しげだが包容力溢れる瞳。凛として彼と向かい合う姿。メーテルは、ちょうどファウストが妻・加奈江と出会った頃を彷彿とさせていた。
メーテルは何か言いたげだったが、口をつぐんでしまった。やってみなければわからない事・・・そう思えばこそ、やはり反論する事はできなかった。そしてファウストは続けた。
「そのためにも、『D』を消滅させ、さらにアイアンデアーを阻止する。しかし、今、私がこの艦でできることは、『D』を抹殺することしかありません」
メーテルが思うにファウストの意志は固いようだった。彼のことだ、どういう方法であれ『D』に対しての自分で最後の責任をとるのかもしれないと思えば、彼の頑固な決意を今の彼女が覆すことは難しい。
「貴方は・・・本当に大アンドロメダで母の暴走を止めるおつもりなのですか?生身の時と同じ心を持ったままの機械化人を作るおつもりなのですか?」
「今はできなくともいずれ、必ず。貴方が実の母を伐つことなど・・・私は考えたくありません」
生身の身体から機械化されるにつれて薄れていくプロメシュームの意識は「いつか私を伐て」と愛娘達に伝えたのだった。かつて、ファウストが地球を離れたとき、大テクノロジアへと誘ったのはメーテルだった。そして、彼女は小さな肩に背負った大いなるその苦しみを彼にうち明けていた。
メーテルには分からなかった。大抵の先のことは彼女は知っている・・・だが、目前で切々と語るファウストの言葉が、将来これが吉と出るか凶と出るか判断につきかねた。それは、まだ若い彼女が心に抱くわずかな「希望」の光によるものなのかもしれない。いつか・・・肉親を伐たなければならない気持ちをお互いに味あわなければならないなどと、このときのメーテルにははっきりと分かるはずもないのだ。
メーテルは感じはじめていた。恐らく、ファウストもまた、目指す物が同じでも、違う道を歩もうとしている一人なのだと。
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